
花と絵筆の物語
- Reiko Yamazaki
- 6月15日
- 読了時間: 4分
今、私は人生の過渡期を迎えている。
フラワー装飾技能士という、花に関する唯一の国家資格の試験が目前に迫っているのだ。3級・2級は都道府県認定、1級は国認定という、思っていた以上に本格的な資格である。
この資格の存在を知ったのは昨年のこと。それまでの私にとって、まったく未知の世界だった。きっかけは、あまりにも突然やってきた。
振り返れば、12年間という長い時間を、私はアーティストとして歩んできた。絵画に向かい、絵筆を握り、色を重ねる日々。年に1、2回の個展を開催し、グループ展に出品し、作品を展示して販売する生活。周りを見渡せば、多くのアーティストが生活のために副業を持っている中で、私はありがたいことに副業は殆どせずに創作活動に専念し、何とか暮らしを成り立たせてこれた。
そんな私にとって、毎年開催する個展は生命線のようなものだった。作品を発表する場であり、収入を得る大切な機会でもあった。ところが2023年、その毎年恒例だった個展が途絶えてしまった。
理由は様々あったけれど、結果として私は大きな柱を失ってしまったのだ。
しばらくの間、私は途方に暮れていた。アーティストとしてのアイデンティティが揺らいでいた。そんな時、ふと心に浮かんだのがこんな言葉だった。
「絵しか描いてない、他に何もしていない。何一つできない」
その言葉にハッとした。確かに私は絵画一筋で生きてきた。それは誇りでもあったが、同時に脆さでもあったのだ。一番大切にしていたものを手放した喪失感は、想像以上に大きく、自分でも驚くほどだった。
でも、しばらく時間が経った後、ふと別の考えが浮かんだ。
「ここでやめたら、信じて疑いもなく前進していた過去の自分に申し訳ない」
昔どこかで聞いた言葉が蘇った。「転んだのは自分のせいじゃないかもしれないけど、そこから立ち上がれないのは自分のせい」
そう、転んでしまったことを嘆いても仕方がない。大切なのは、そこから立ち上がることだった。
そうして私が新たに始めることにしたのが、フラワー装飾技能士の試験への挑戦だった。なぜ花だったのか、それを調べたのかその経緯は覚えていない。
ただ、何か新しいことを学びたい、違う表現の世界に触れてみたいという気持ちが強くあった。
フラワー装飾を学び始めてもうすぐ1年になる。最初は戸惑うことばかりだった。花の種類も分からない、道具の使い方も分からない。まさに一からのスタートだった。
でも学んでいくうちに、驚くべき発見があった。フラワー装飾が絵画によく似ていることに気づいたのだ。美術史、色彩のバランス、構図の取り方、全体のハーモニー。根本にある美意識は共通していた。
ただし、今はまだ基礎の段階だ。自分らしい作品を作るのではなく、課題として出された通りの大きさ、形、そして何より決められた時間内での速さを追求する時期。自由な表現からは程遠い、厳格な訓練の日々が続いている。
でも、それは絵画を始めた頃も同じだったことを思い出した。デッサンの基礎練習、美術史や色彩の勉強、構図の学習。自分の作品を描けるようになるまでには、長い基礎の期間があった。
花を学んでいる今の自分は、まさに絵を始めた頃の自分と重なって見える。「初心忘るべからず」という言葉が、これほど身に染みたことはなかった。
そして今日、先生が私たちに向かってこんなことを言った。
「少ない時間の中でも、完成図を予想して花材を見ながら組み立てることができる人が受かる。何も考えずに時間を過ごして、行き当たりばったりで行う人は、何度受験しても合格できない。同じことをただ繰り返ししても、うまくはならない」
この言葉を聞いた瞬間、私の心の奥で何かがカチッと音を立てた。そうか、絵も、まったく同じだった。
絵画に向かう前に完成図をイメージする。使う色を計画し、筆の動きを予想する。何も考えずに筆を動かしても、決して良い作品は生まれない。同じ技法をただ繰り返すだけでは、表現は深まらない。
12年間絵を描き続けてきた私が、改めて学んだ基本中の基本だった。でも、それを花の世界で再確認することで、なぜか新しい気づきが生まれた。
人より時間のかかる私が、絵画とフラワー装飾の両方をどこまで極められるかは分からない。でも、表現の可能性があるのだから、きっと両方とも存分に楽しめるはずだ。
今、私の手には花と絵筆がある。
異なる二つの道具だけれど、どちらも美しいものを生み出すためのもの。アーティストとしての挫折から始まったこの新しい挑戦が、どんな花を咲かせるのか、私自身も楽しみでならない。
試験まであと少し。12年間培ってきた表現への想いと、この1年で学んだ花への愛情を胸に、私は最後のスパートをかけている。転んだところから立ち上がって歩き始めた新しい道が、きっと私をもっと豊かな表現の世界へと導いてくれるだろう。
花と絵筆。二つの道具を手に、私の新しい物語が始まる気がしている。
