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最後の蓮 1

  • Reiko Yamazaki
  • 6月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月14日

 その夕暮れは、いつもと何ひとつ変わらない平凡な一日の終わりだった。

植物園から帰路につく私の足取りは重く、心は空虚感に満たされていた。

絵画を学び始めて5年、技法は身につけたものの、魂を揺さぶる何かを見つけられずにいた。


私は風景画や動物画に没頭していた。しかし、どれも表面的な美しさを追うだけで、内なる声に応えるものではなかった。

特に花を描くことには興味がなく、「古典的すぎる」と思っていた。蓮の花に至っては、その極致だった。数え切れない画家たちが筆を取ってきた題材。もはや描き尽くされた感があり、今さら私が手を出す必要などないと考えていた。


その日も、いつものように植物園での取材から帰路につこうとした時だった。


夕陽が空を赤く染め、周りも薄暗くなっていた中に、ひっそりと咲く蓮の花があった。白い花弁が、まるで光そのものように輝いている。しかし、その足元を見た瞬間、私の世界は一変した。

花の周りに広がる深い影。それは単なる暗闇ではなく、何か生きているもののような気配を漂わせていた。葉の影、茎の影、そして見えない何かの影が幾重にも重なり合い、蓮の花を包み込んでいる。

その瞬間、私は真夜中の空が暗く見えるのは、空そのものが暗いからではない。無数の影が重なり合って、漆黒の闇を作り出していると気づいた。そして、その影の中にこそ、真の美が宿っていると思った。


描かなければならない。


生まれて初めて、そんな衝動に駆られた。

足が震え、心臓の鼓動を強く感じた。家に帰るのももどかしく、その場でスケッチブックを取り出し、薄暗くなる中で必死に線を刻んだ。

気がつけば、翌日も足を運んでいた。



それから私の蓮の花との格闘が始まった。


最初の作品は惨憺たるものだった。あの夕暮れに感じた神秘的な美しさは、紙の上では平板な花と影の組み合わせにしか見えなかった。技術的には問題ないはずなのに、魂が宿っていない。

何が足りないのか、自分でもわからなかった。紙を何度も張り直したり、描き直しても同じ壁にぶつかった。

蓮の花の形は正確に描けても、あの影の神秘性が表現できない。黒い絵の具を重ねても、ただの暗い色にしか見えない。


ある日、画室で一人格闘していると、ふと気づいた。私は影を「描こう」としていた。

しかし、影は描くものではなく、そこに「在る」ものなのだ。


それから私の制作方法は一変した。まず影の部分から描き始め、そこに光を見つけていく。

蓮の花は影の中から生まれ出るもの、影によって守られ、同時に影によって隠されるもの。


何作目かで、ようやく手応えを感じた。黒い画面の中に浮かび上がる白い花弁。それは確かに夜に咲く花のように見えたが、実際は昼間の花が影に包まれている姿だった。

だから、私の描く花は昼間の光なのだ。



年月が過ぎ、私の蓮は少しずつ進化していった。十作、二十作、三十作。同じ題材を描き続けることで、見えてくるものがあった。


影の正体が、徐々に明らかになってきた。


それは単なる光の遮蔽ではなく、存在そのものの証だった。葉の影は、葉が確かにそこに在ることの証明。人の影は、その人の存在の痕跡。得体の知れない影は、まだ名前のつかない何かの存在を示している。

私の絵の中の黒は、全て何かの影。それは守るものかもしれないし、監視でもある。暖かく包み込む温もりのようでもあり、じっと見つめる無数の眼のようでもある。恐怖と安らぎが同居する、不思議な空間だ。


何十作目と描いている時、筆を持つ手が勝手に動き、思いもよらない線が生まれる。

しかし、私にはまだ満足できない何かがあった。理想的な形、完璧な表現。それは常に手の届かないところにあった。



数十作目を超えた頃から、私は執拗なまでに下図の微調整を行うようになった。

花弁の角度を一度変えるだけで、全体の印象が変わる。影の濃淡を微細に調整することで、奥行きが生まれる。


毎日、同じ蓮の花の下図と向き合った。朝、昼、夕方、夜。時間が変わるたびに、新しい発見があった。この花弁はもう少し開いている方がいい。この影はもう少し薄い方が良い。この茎の角度は完璧だ。


「同じ絵ばかり描いて飽きないのか」「他の題材にも挑戦したら」と勧められたが、まだ到達していない場所があることを知っていたために、蓮の花は毎年描いていた。


下図を微調整する作業は、まるで瞑想のようだった。一本の線を引き直すために、何時間も考え込む。消しゴムで消して、また描く。その繰り返しの中で、私自身も変化していった。


以前の荒々しい筆遣いは影を潜め、静寂に満ちた線が生まれるようになった。色彩も派手になったり原色から深みのある中間色へと移行したり戻ったり、様変わりしていた。


何作目か分からない数を描き終えた時、私は一つの境地に達していた。

技術的な完成度はもちろん、精神的な深みも格段に増していた。



しかし、それでもまだ、何かが足りなかった。

 
 

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